プレゼン費用は誰が負担する?

自動車ディーラーで修理見積もりを行うと、見積書作成費が請求される。高級車では以前からあったけれど、最近国産車ディーラーでも加算されたり。

見積もり作成の際に、現状のコンディション確認や修理箇所のピックアップなど作業が発生するのだから、不当な請求とは思わない。でも消費者目線としてみると、どうせ修理依頼をすることになるのだから、サービスに含めてもらえないだろうか?と思ってしまう。見積もりは無料だと嬉しい。

広告の現場では「これで行きましょう」と事前にプレゼンがある。「広告したい」と思う企業が、代理店や制作会社複数に競合させることもある。より良い結果を望むのも、幅広いアイディアが欲しいのも理解出来るから、ここで複数の人たちからアイディアを求めるのもわかる。

広告でなくても、同業へ相見積もりを取ったり取られたりは、誰もが経験あると思う。仕事を依頼する側は金額が高額になるほど慎重になる。

広告で厄介なのは、毎回新しいアイディアを提案しなければならないこと。これによって新しい技術の調査や、専門家を巻き込んでの検証などが必要となる。ビジュアル方面でも、サウンド関連でも、アイディアを伝えるためには、それなりの資料やサンプルが必要となってくる。

この資料づくり。先に挙げた形で進められるのだけれども、提案側としてはコストを掛けたくないのも事実。とはいえ、ケチった挙句にしょぼい資料となってしまうのは避けたい。競合があるなら、より優れた提案をしたい。

競合が3社居れば他の2社は落ちることとなる。最近この時のプレゼン費用はクライアントから出されることはほぼ無い。参加した側の泣き寝入りとなる。専門家へ事前オファーしていれば、その費用負担も含むこととなる。

実は10年位前まではプレゼン費用の出るクライアント直のオファーも結構あった。今でも無いことはないけれども。

「最近では無いことが一般的になっている。」とは現場からの声。

せめて依頼が決定している上で「複数のアイディアが見たい。」というのであれば、プレゼン費用を経費として見ることも出来るし、制作費用への入れ込むことも可能。だが、競合プレとなるとそうは行かない。

競合プレゼン費用の負担や、コンペの参加の請求を0とするのが悪習と見るのであれば、それは改善すべき事柄かもしれない。

『見積もりや提案が無料だと嬉しい。』冒頭で書いた通り、この気持ちは消費者目線で見れば同調出来る。でも、実際に請求される現実もある。これは数や規模の問題だけでなく、営業側の手腕か?依頼者側の手腕か?

『人が動けば費用が発生する。』その単純な請求を行えるのか否かも、受ける側としての大切な使命かもしれない。

プレゼン資料に見る、制作の現場からの危険な流れに気づいた瞬間

思った以上に日常化している状況として。ポスターや広告映像、時にプロダクトも同様の流れがある。そんなメモ。

クライアントへのプレゼンテーション。例えば「こうしたポスターを作りましょう」と持っていく資料がある。これはクライアント向けの説明として使用されるので、分かりやすさが大切。最終イメージに近いビジュアルを作り、提案を行う。

なぜそんな事をするのか?
クライアントに対しては、「こんなイメージで行こうと思います」と言葉やラフスケッチで伝えても「分からないよ」とされてしまう。
そこで、ほぼ完成系に近いプレゼン資料を作ることで「これなら良いね!」という了承をもらえる。つまり、そこでGO!が掛かる。

この時の仮イメージとしてweb上にある画像や写真を引用し、近いイメージを作って出している事がある。

 

その資料に使う画像。閉じた場で使う資料とは言え、Webの画像をコピペして使って良いものか?と疑問を持つのも、そうした世界に触れたはじめだけ。気がつけば、最もイメージに近いビジュアルを探す作業がルーティン化している現場がある。

これが怖い。

何が怖いかといえば、web上の画像の勝手な引用についてではなく、既存のビジュアルを引用することが「イメージに近い=そこからイメージが広がらない」危機感がある。それ説明するなら下記の様な状況となる。

無事にクライアントへのプレゼンを終え、担当者からOKをもらう。そこから製作が始まることとなる。

プレゼンを見事に通過したビジュアルだけれども、今度はそのイメージから大きく外れてしまうと、「ちょっとプレゼンの時と印象が違うな」という反応が来てしまう。
クライアントの想像力は、完成系に近いイメージを見せられることによって停止してしまっているし、そもそも「その仮画像」を気に入っているのだから、それと異なる物が出て来れば「違うよね」となるのは当たり前。

すると何が起きるのか、新規の撮影やイラスト制作を行っても、元のイメージに近づいてしまう。結果的に「トレース疑惑」が出てしまうのも自然な事なのでは無いか?と思う部分がある。こうした可能性はゼロでは無い。

 

では、そういった危険をどう回避するか。

はじめからプレゼン資料で使用するビジュアルを、プレゼン専用に写真撮影したり、プレゼン専用にイラストを起こす。これなら危険は回避できる。完全なイメージ通りのオリジナルなのだから。
そうした事を必ず行っている制作会社さんもあります。小さなデザイン事務所なども、そうした丁寧な仕事をされている印象を見て感じています。

なのになぜ、
web画像や既存の製品をプレゼンに使用する人がいるのか。

これは時間が無かったり、数をこなす必要のある現場では、忙しいからとWeb上の画像を、ほぼそのまま素材として使用してしまう資料作りをする現場がある。これはプロジェクトに参加していても恐くなる。(基本的にそうした進行をする会社さんとは長続きしない。働き方のリズムが異なりすぎる。)

 

今回のサントリーのバックのトレース問題。この原因はこの流れなのではないだろうか?と推測しています。

作業を行っているデザイナーさんが、プレゼンの資料への間に合わせとしてコピペして制作した『仮イメージ』を使用。その後、製品化する時にも大きく変更する事ができず、これが起きた。

結局は現場の士気が下がっている結果だと思う。そもそもコピペしようとするデザイナーなんて居ない。デザイナーを目指した人間が、それを良しとするなど自身のプライドが許さないはず。
忙しすぎたり、休みが取れなかったり、対価も思わしく無い。そんな環境下なら、手を抜こうとしなくても堕落し落ちぶれる可能性はあるかもしれない。ルーティン化していた状況もあったのかもしれない。

結局はコピペするしかなかったデザイナー達は不幸なのだ。

 

彼らの仕事場が幸せな環境にあったとは考え難い。
今回の件は本人達が一番恥じているだろうし、復活できるメンタルがあれば良いのだけれども。

それも踏まえて監督であるリーダーの責任だと思う。コピペ云々より、事故が起きてしまった環境を作ったことを恥じてほしい。コピペをしたデザイナーが悪いのではない、それを生み出す環境を作ったリーダーが悪いのです。そう考えることが責任者としての責任。

もう一度仕事の取り方も見直して、体制作りと組織作りから再出発をしてほしい。このまま終えるのではなく再起を望みます。