やっぱり餅は餅屋なんですよ。

ASYLの佐藤さんと以前、どこかのトークでご一緒した際に出てきた話なんですけれども。

みんな同じパソコンを使っているのだから、ソフトを変えるだけで「空間」「映像」「グラフィック」「音楽」なんでも出来る。で、やってみたりする。だけど、やって分かるのが餅は餅屋ということなんだよね。

これ実は一度は迷い込む罠だとも思ってる。
いろいろなジャンルや世界に触れるって意味では、(ソフトが違うけど)道具が同じということは、視野を広げるキッカケになります。でも、それでフィニッシュまで持って行こうとすると、限界があるんだよね。

でも、遊びから始めて、そのジャンルを極めてしまうということもゼロじゃ無いから、トライするのは良い。でも悪戯に中途半端なものは生み出しちゃいけ無い。この線引きって意識していないと出来ないところですよね。

スマホのアプリとか分かりやすいけど、ソフトの機能が向上して、それっぽい成果物を作るのは可能。でも誤魔化せるのはスマホ画面の中までだったりする。
パソコンで見た時の落胆とか、ちょっと悲しくなる時もある。

やっぱりその分野で食ってるって人は、常に研究してるんですよね。その日々の努力については、中途半端には追いつけない距離がある。
研究や実験が生活の一部になっている人。センスも必要だけど、結果を出して評価が付いて来ればセンスもあるってことだよね。

自分で「あ、これは僕はココが限界!」って気付いたら、出来る限りその分野でのプロを探して仲良くなるということが大切だと思う。これに関しては、かじったからこそ、見極める力はつくタイミングでもあるので。

するとその分野の動きや欲求が出た場合、その人を巻き込めば良いこと。社会へ送り込むクリエイティブは、妥協しないものであるべきだし、それらで構成されるべきなんだよ。