星新一の未来予想図と今

短編の神様と称される星新一の作品は、多くの作品に未来を描くものがあります。その中で、「工場はオートメーション化し、事務作業なども一切がコンピューターで処理されている。人の働く時間は削減され、今では午前中のみしか仕事がない」というものがありました。これを苦笑せずに読むことができるでしょうか?

<a href=http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101098263/zproduinc-22?creative=1615&camp=243&link_code=as1 target=_top><img src=http://rcm-images.amazon.com/images/P/4101098263.09._SCTZZZZZZZ_ vspace=3 border=0></a>

確かに便利な世の中になりました。様々な物事が、時間を掛けずに解決してゆく。物理的なモノも、そうでないものも、全てが効率化された世の中になった。ではさて、実際の仕事量が減ったかというと、そうではない、逆に忙しくなっているのではないでしょうか?

人は常に多くを求める傾向にあります。より高いクオリティを求める。コンピュータが今までの物事を効率良く解決するならば、生まれた時間でよりクオリティを高めるべく、より突っ込んだ深い場所までつきつめる。

良く聞く話にこんなのがあります。「なぜかいつも締め切りギリギリまで作業をしてしまう。もっと計画的に時間を作れば、こんなにならないのに・・・」と。
でもこれは違うのではないでしょうか?例えば、スケジュールをしっかり立て、「この仕事量であれば、この期間で大丈夫だろう」となるとする。スケジュール通りに事が進めば、締め切り前夜にゆっくり眠ることが出来るか?というと、そうではないと思いませんか?
出来上がったモノを、より理想へ近づけるために更に試行錯誤してしまう。

クリエイティブな仕事は、1つの答えが見えにくい分、そんな状況が起こりやすい気がしています。ただ、時間を掛ければより良いモノが出来るか?と言えば、そうでは無い。様々な迷いや、決定する度胸も必要です。ただ、時間を味方に付け、締め切りをゴングとして、目の前の仕事に誇りを持つ。そうして戦う人も多いのでは無いかと思うのです。

けしてそれが正しいとは言い切れないのですが、より良いモノを追い求めることが進化であり、新しいものを生み出して来たとも言えるのではないでしょうか?

人間は欲張りな生き物です。追い求める限り、何もない時間はやってこない。


2015/07/18:追記
機械が仕事を請け負うという未来は既に事実となってきているけれども、結果として仕事を奪われると怯える人が居るのは悲しき未来。
星新一の描く世界には、ベーシックインカムという前提があると思う。過去から眺める未来には、そうした前提があるとするならそれが輝かしき未来なのだと思う。