個人が出来ること、デカイところが出来ること

個人で動いていても、情報を追いかけるウチに大企業がやる活動にあこがれてしまう気持ちが出てくる。なんだろう「カッコイイ」とか、「楽しそう」とか。

やっぱり「楽しそう」という空気を生み出すのがそもそも上手だし、ターゲット層に自分が入っていれば、そこに素直に反応するのも自然なことだよね。
ただ、自分がやりたいことをそこに重ねすぎてしまうと、本末転倒というか残酷な結末が待っていたりもする。

自分のサイズを知ること。そして、自分が出来ることを知ることが大切。メンタル的な状況によって、過大評価も、過小評価もしがちなポイントなので、周りの人達と出来る限りこうした話はしておくと自分が見えてくるのかもしれないね。

そして、大切なのは「自分のセンスを信じること」。あまりにも社会に流れる情報が自分の好みとかけ離れていても、それは自分が社会から離れたコトではなく、まだ社会が気づいていないだけかもしれない。

自分の好きを「こういうことが面白いと思う」と発信することで、必ず共感する人たちがある。結果としてそれで食べれる事になるかもしれない。世界には60億人70億人と人が生きているらしい。

色々な情報ノイズに惑わされず、自分を信じて追い続けること。隣の芝は常に青く見えるけれど、他者から見れば自分の庭も美しくみえている事を知ること。
必ずしも誰もが憧れる庭を作る必要は無いけれど、自分が「この庭が好きなんだ」と言えることが大切なのかなって思う。

巨大企業に立ち向かおうとしたり、真似をしようとしても、人力も経済力も及ぶことは無いわけで、自分のサイズから出来ることと向き合うべきだろうね。
結果的に追いぬくことも、真似されることだってある。巨大組織に憧れる立場なんて凄くないか。

そこには、それを意識したスタートではなく、自分の見えている確実な一歩があったはずなんだよね。それを忘れないようにしよう。