今動くというコト

「動かなければ始まらない。」そうは思っていても、なかなか行動に移せなかったのは、大学を出た直ぐの頃。本でも、映画でも、テレビでも、「動け」と「動かなければ何も始まらない」と。そうとしか書いていなかった。肝心な動き方や、自らの動かし方は誰も教えてくれない。
そんなとき、社会をにぎわせたのは「小渕総理(当時)の突然死」と、「福岡のバスジャック事件」。この2件の出来事が、私自身を動かす切っ掛けとなった。

後から振り返ると、小渕総理は前日から様子がおかしかったり、激務が続いていたりと、様々な要素や前兆はあったものの、突然倒れ帰らぬ人となった事は大きな衝撃を与えました。それは、有る程度元気に働いていたとしても、次の日には思いもよらぬ状況にある可能性があるということ。

もう一つの「バスジャック」事件は、若年の犯人が乗客として乗り合わせていた女性を刺殺してしまうという事件。その女性は、惜しくも若年の人のための活動を様々にされていた方だったと聞きます。結果として、事件に巻き込まれてしまったのですが、前日にも、その日の朝でさえ、本人も予測出来なかった状況だと思います。

人は、自らの意志とは反し身体の疲労や、他人の意志により、突然「生」が途絶えさせられてしまう可能性を、常に持ち合わせている。私にとって、そんなことを感じ取った出来事でした。
明日の自分など、誰も保証はしない。自分自身ですら、わかり得ぬ世界なのですから。たとえ数時間後、数分後だろうと。
だとしたら、いつ何があったとしても、悔いなく「今が一番楽しい」と言える生き方をしていかなければならないと、私は考えました。その延長線上に今があります。


2015/07/18:追記
これを書いたのは10年前。確かにこの頃は社会に放り出された時の頃のコトをずっと引きずっていた気がする。
そして、社会に放り出されてから15年過ぎて、また同じことをグルグルと考えている気がする。働き方、動き方は個性。やり方なんて無いと、今はそう思う。年齢関係なく人はモガクのです。