プレゼン資料に見る、制作の現場からの危険な流れに気づいた瞬間

思った以上に日常化している状況として。ポスターや広告映像、時にプロダクトも同様の流れがある。そんなメモ。

クライアントへのプレゼンテーション。例えば「こうしたポスターを作りましょう」と持っていく資料がある。これはクライアント向けの説明として使用されるので、分かりやすさが大切。最終イメージに近いビジュアルを作り、提案を行う。

なぜそんな事をするのか?
クライアントに対しては、「こんなイメージで行こうと思います」と言葉やラフスケッチで伝えても「分からないよ」とされてしまう。
そこで、ほぼ完成系に近いプレゼン資料を作ることで「これなら良いね!」という了承をもらえる。つまり、そこでGO!が掛かる。

この時の仮イメージとしてweb上にある画像や写真を引用し、近いイメージを作って出している事がある。

 

その資料に使う画像。閉じた場で使う資料とは言え、Webの画像をコピペして使って良いものか?と疑問を持つのも、そうした世界に触れたはじめだけ。気がつけば、最もイメージに近いビジュアルを探す作業がルーティン化している現場がある。

これが怖い。

何が怖いかといえば、web上の画像の勝手な引用についてではなく、既存のビジュアルを引用することが「イメージに近い=そこからイメージが広がらない」危機感がある。それ説明するなら下記の様な状況となる。

無事にクライアントへのプレゼンを終え、担当者からOKをもらう。そこから製作が始まることとなる。

プレゼンを見事に通過したビジュアルだけれども、今度はそのイメージから大きく外れてしまうと、「ちょっとプレゼンの時と印象が違うな」という反応が来てしまう。
クライアントの想像力は、完成系に近いイメージを見せられることによって停止してしまっているし、そもそも「その仮画像」を気に入っているのだから、それと異なる物が出て来れば「違うよね」となるのは当たり前。

すると何が起きるのか、新規の撮影やイラスト制作を行っても、元のイメージに近づいてしまう。結果的に「トレース疑惑」が出てしまうのも自然な事なのでは無いか?と思う部分がある。こうした可能性はゼロでは無い。

 

では、そういった危険をどう回避するか。

はじめからプレゼン資料で使用するビジュアルを、プレゼン専用に写真撮影したり、プレゼン専用にイラストを起こす。これなら危険は回避できる。完全なイメージ通りのオリジナルなのだから。
そうした事を必ず行っている制作会社さんもあります。小さなデザイン事務所なども、そうした丁寧な仕事をされている印象を見て感じています。

なのになぜ、
web画像や既存の製品をプレゼンに使用する人がいるのか。

これは時間が無かったり、数をこなす必要のある現場では、忙しいからとWeb上の画像を、ほぼそのまま素材として使用してしまう資料作りをする現場がある。これはプロジェクトに参加していても恐くなる。(基本的にそうした進行をする会社さんとは長続きしない。働き方のリズムが異なりすぎる。)

 

今回のサントリーのバックのトレース問題。この原因はこの流れなのではないだろうか?と推測しています。

作業を行っているデザイナーさんが、プレゼンの資料への間に合わせとしてコピペして制作した『仮イメージ』を使用。その後、製品化する時にも大きく変更する事ができず、これが起きた。

結局は現場の士気が下がっている結果だと思う。そもそもコピペしようとするデザイナーなんて居ない。デザイナーを目指した人間が、それを良しとするなど自身のプライドが許さないはず。
忙しすぎたり、休みが取れなかったり、対価も思わしく無い。そんな環境下なら、手を抜こうとしなくても堕落し落ちぶれる可能性はあるかもしれない。ルーティン化していた状況もあったのかもしれない。

結局はコピペするしかなかったデザイナー達は不幸なのだ。

 

彼らの仕事場が幸せな環境にあったとは考え難い。
今回の件は本人達が一番恥じているだろうし、復活できるメンタルがあれば良いのだけれども。

それも踏まえて監督であるリーダーの責任だと思う。コピペ云々より、事故が起きてしまった環境を作ったことを恥じてほしい。コピペをしたデザイナーが悪いのではない、それを生み出す環境を作ったリーダーが悪いのです。そう考えることが責任者としての責任。

もう一度仕事の取り方も見直して、体制作りと組織作りから再出発をしてほしい。このまま終えるのではなく再起を望みます。

壮大な炎上によって目が向けられた現実。2020東京オリンピック。

東京オリンピックに関しては、毎日の様にネットで答え合わせをするクレームが並ぶ。それぞれ色々な意見を持つのは良いことと思う。他の人の考え方を偏らせる情報の取り扱いをするメディアは困りものだけれども。

2020年のオリンピックに対して、多くの有名人もコメントをして、それを更にピックアップするご近所の井戸端会議レベルのサイトもある。それをバイラルメディアがコピペしてアプリで配信。そしてそれをテレビがピックアップ。

これによって、情報を得る為に偏ったツールに頼っていても、比較的平等に情報が行き渡っているとは思う。

そうして、怒りにまかせつつも、いろんな立場の人たちが自分の意見を持つ様になってきた。これ実感するよね。賛成派、反対派、なんらかの意見持ち始めてるのではないかな?

でもね、比較的「あまり興味ないな」「なんで東京でやるの」なんて意見も多く静かだった「東京オリンピック」について、これだけ個人が意見を持つ事で「自分たちのオリンピック」という意識が芽生えてきていることに気づいている。

これ集団を団結させるには大切なんだよね。色々な意見があるとしても、まず「興味を持たせる」ということ。興味さえ持ってもらえれば、あとは上手くアテンドできる。

最後良ければ全て良し。というか、昔の事すぐに忘れる民族性に頼るならば、成功する条件としての「国民の興味」は得られたわけだし、ここから少しでも上り調子なら(これ以上下がらないと願うけれども)、印象も良くなるだけでしょう。

「自分たちの東京オリンピック」という意識があれば、きっと成功できるよ。自ら動けるからね。それぞれの立場で、それぞれの役割が見れると思う。

「Tokyo Art Navigation」トーキョー・アートスポット

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東京をめぐる No.007
クリエイターが変える、馬喰町・東日本橋周辺
http://tokyoartnavi.jp/spot/039/index.php

CET-TRIPの活動を紹介頂きました。

過去の夢との対話

4年目の大学生活を迎えた時、
他の研究室では、就職先を決定した友人がポチポチ出ていた。
内定というやつですね。それでも遅い頃なのだろうか?

就職という言葉が、当時の私には、
あまりにも現実的に聞こえては来なかった。
惰性で1社面接をして、その非現実感が強くなった。

そこで考えた。
なぜ、今私はここに居るのか?と。

高校時代、子どもの頃から車好きだった私は、
エンジンなどの開発に携わる仕事をしたいと思っていた。

訳も分からず、レース関係のファクトリーへ
バイトを無理矢理申し込んだりもした。
そして、単純な自動車の知識も足りない事を思い知らされた。
でも、そのファクトリーの方々が優しく接してくれたことは、今でも忘れない。
優しくなだめながら、MR2(SW20)で、最寄り駅まで送り迎えしてくれた。
車がより好きになった。

そして、工業系、電気系の大学を目指す。
夢中で勉強するも、英語がまったく伸びず。
理数も教科として好きだったが、
有名塾で開催された模擬試験では最悪の結果だった。

いろいろ悪あがきもするが、全く状況は良くならず。
簡単に心が折れて、諦めることにした。
というのも、通っていた高校は中高一貫校であって、
その生徒のほぼ全員が、附属の明治大学への推薦を貰える様な学校。
目的の学科は難しいが、それでも選ばなければ明大生の看板は背負える。

そんな事もあって、簡単に諦めてしまったのだと思う。
二部ながら文学部か何かの推薦の話があった。

たぶん、そこへ通うのだろうと半分思っていた。
悪い気分では無い。名の知れた大学なのだから。

そこで見たのがカーグラフィックTV。当時は土曜の夜だったかな?
ピニンファリーナの特集。イラストがクレイモデルになって、その後生産ラインに流れてくる車が映ると、最後一台のフェラーリが走り出す。

これだと思った。

それで美大を目指して武蔵美に入った。そして4年生になったということだった。

ならばとピニンファリーナの住所を探る。
カーグラで見たのだからと、カーグラの編集部へ手紙を送った。2週くらいしたころかな?返信があった。ピニンファリーナの住所と共に。

早速作品をまとめてピニンファリーナへ送った。
帰ってきた手紙を見ると、相手してくれたのは奥山清行さんだった。
「残念ながら君を今雇うことは出来ない。でもいずれ必要になったら声をかけよう。その時に分かるように有名になっておけ」と。ざっくりそんな英文。

粋だなって思いつつも、自分の道を探ろうともがき出した。ようやくスイッチが入った感覚。

その手紙をたまに読む。
過去の自分と対話しつつ、過去に恥じぬよう今のもがき方をしたいと思う。