経営者の思いと現場の思い、思考の根本の共有

ある編集者から贈られた本に、こんな内容がありました。
「技術は常に向上している。しかし、事故は決して減ることが無い。むしろ増えることさえある。そう、事故は人がおこしているのです。技術に頼りすぎるがために、気が緩んでしまう結果なのかもしれません。」
本の内容は「食」に関するものだったのですが、他の分野にも同じことが言えるのではないでしょうか?
別の場所で、最近の若い人が理解できないという経営者に出会った。
留守を頼んだ際に、電話がかかってきても、相手の用件どころか、名前さえも聞かずに「社長は留守です」と、切ってしまうのだという。
ただ、不思議と1から10まで教えると、その教えたことだけはしっかりこなすらしい。その経営者は、電話の受け答えごときに時間を費やすことなのだろうか?と。

僕自身にも同じような経験を持っているのですが、何かを頼むと教えていないことに対しての、レスポンスが悪いと感じることがあるのです。つまり臨機応変な対応が出来ない。相手の気持ちに立って動くことができないのだと思うのです。
前記の様々な事故に関しても、後記の行動に関しても、基本的には自分の意見、気持ちを持たないからこその結果ではないだろうか?と感じるものがあります。

マニュアル通りにした結果の、単純な事故。「マニュアルに記す以前の常識」というものが抜けてしまった結果ではないでしょうか?
「言われたから」「いわれたことだけ」「ここにそう書いてあるから」僕はそんな意見はけして聞きたくはないのです。僕に対しているあなたの意見が聞きたいのです。常に僕はそう感じています。
僕が相手をリスペクトするからこそ、相手も僕自身をリスペクトしてほしい。それを無視して、マニュアル通りの対応とは失礼ではないか?
大きな企業、団体でもそういう状況が良く見える。
先日ある役所の方と対面する機会がありました。僕は相手の意見を聞きたかったが、結果として一言も相手個人の声を聞くことはできませんでした。

そんな状況は公の機関に目立つ様に思いますが、社会全般にもそういう人間が多すぎはしないだろうか?
自分個人に責任を持ち、自分の意見を持ってほしい。
でないと、結果的には自分が無視されるだけなのだから。そんな状況は寂しすぎやしないか?全ては本人に戻って来てしまうのだから。

これらは、全てコミュニケーション以前の問題だと思う。


2015/07/18:追記
なんとも偉そうなことを書いてはいるけど、まあ一理あるかな。
大切な判断を現場に委ねきれないのは、時代の流れか。責任問題が大きすぎる様にも感じる。昔は曖昧だった物事が、どうも理屈っぽくなっている。結果として「現場で判断するな」って意見が出る状況も今はわかる。
なんとなくだけど、人間がデジタルな感覚を持ちつつあるようには思う。分かりやすく0か1。良い面悪い面ある。