仕事と生活の選択肢は地球上に無限大。「選ばれる為に」を考えると必要なのは家守かも。

活動するエリアを決めて、仕事を始める。
どのエリアで、どんな仕事を選ぶかは個人の自由。場所も仕事も、誰もが持っている自由な選択肢でもある。
雇われる立場だって同じ条件なのだから、選んで望んで現状を得ているはず。

そんな中、どのエリアを選ぶのか。
そして選んだ人は、なぜその街に飛び込み、生活をしているのか。

少し身近な視点からの例え話

東京には色々な街がある。都外からの目線では、隣あう駅のキャラクターがここまで近くて異なることに驚く。山手線にある駅だけで、ひとつの県全体の持つ顔を網羅して、それを超えていると感じる事もある。

渋谷へ行くのか、原宿へ行くか、恵比寿へ行くか。得たい目的も求める気持ちも、たぶん着て行く服も異なるかもしれない。誰と行くのかも違うから。

それをちゃんと見極める事ができれば、店を構えるだけで自然と人が入るという店もある。もちろん更なる努力は必要だけれども、マーケティングが大切と言われるのはこのポイント、集客は一番の課題。

そして東京とは言え、街自体に人が少ない街もある。

CETエリアは後者の街だったと思うし、今でもちょっと特殊な街だと思う。マンションが増えたけれど、大型のお店を作りにくい。小さく分けられた敷地を大きくまとめるのが大変。たぶんそこにかけるお金を回収するのも大変だろう。

結果的に歩いている人は増えたけれど、マンションのボリュームに対する人の増加はあまり実感出来てない。じゃ、外から足を運んでる人が増えたか?と聞かれれば、それほどでは無いかもしれない。
ただ確実に訪れる層が居る事は実感している。

お店を構えるならば、渋谷、青山、表参道。

業種にもよると思うけれど、デザインやクリエイティブ系、更には新しい文化的な業種は、そうした渋谷、青山、表参道エリアが出店しやすいとは思う。(トライアルの時点ではリスキーだけど。短期で効果出すのも手っ取り早い)
ただでさえ感度の高い人達が、情報を探しに日々脚を運んでいる一番身近なエリアでもあるから。
買い物ついで、仕事のついでに歩いている。とも言えるのかもしれない。

ただし、生き残るのも至難の技ではあると思う。(江戸の老舗100年で起きる変化を、1年でクリアしていると感じることがある。)

その真逆にあると思うのが、CETエリア。

このエリアを選んで移り、仕事や生活をしている人たちがいる。特にローカルに特化したビジネスということでもなく、そこにあることを生かして外のエリアから人を呼び込んで成り立っているところが多い。

もちろん、そんな形でこの街へ移った人たちの集まる「場」として成り立つ形の飲食もあるといえばある。
本来、時代を重ねた店舗は、そうした地域密着で仕事帰りの人達を相手にする飲食がベースだったと思う。

そこへエリア外の方々を顧客対象とした店舗が現れたとすれば、それは気になるし多くは「難しいだろう」と言われてきたこと。
簡単では無いことは明確だし、今でも大繁盛とは言え無いかもしれない。ただ、今年で6年を超える様な店舗も増えてきた。

高速ネットの整備だけで呼び込めると思うなよ。

ネット、電気、生活インフラが整う場であれば、どこでも仕事ができる。それを看板に多くの国内の地域や外国までが呼び込むことも普通になってきた。海外では税制優遇などもあるけれど、国内の地域ではその面でのメリットは薄い。

実は交通インフラなんじゃないか?と思うことがある。都市部間での移動はLCCが解決してくれたけれど、空港から現地までのインフラがクルマというだけでハードルになる。

生きてくのに十分な仕事を維持できるか?

では、どうやってその場を選んでもらうのか?競合が並ぶことで、価格競争になるのはとても本末転倒。
選ぶ側は「そこでの生活をイメージできる」ことを望んでいる訳で、それさえ描ければ飛び込むのは容易い。

ビジネスを起こした際のプロモーションが強いこと。実は場所を選ばずに生きていける人には、これが求められている。人を巻き込み、外部から呼び込めるのはそこが強い人。

それを見え無いところからバックアップ出来る自治体が出てきたら、これ実はものすごく強いところだと思う。

アドバイスは幅広い可能性の上に成り立つ。

「facebookを使いましょう」とか「クラウドファンディングをしましょう」とか、残念な選択肢の狭さやトレンドっぽいところへ飛びつく浅はかさではフォロー出来無い。

SNSであっても「あなたはfacebookが合ってる」「あなたはtwitterが良い」と見極めたり、もっとビジネス対象として「あなたは海外向けに英語のインフォを整えると良い」と開拓を促したり。対象となる人とビジネスを見た上でのアドバイスが出来る自治体。

自分で出来る人は良い。出来ない人をどうサポートするか。それも「行政主導」ということでは無く、あくまで「バックアップ」黒子として。いろいろ見ていると中途半端が多い。見かねて議員が個人的に黒子を名乗り出てくることもあるけど限界はあるよね。ただ、そこそこ結果出てるのもある。

これ機能的には家守なんだけど、機能できる家守って育てないとダメかもね。

この仕組みとの出会いがあれば、不幸は防げる。

勢いで遠いイメージだけで知らない土地へ飛び込む人。これ結構辛いんです。移った先で「あれ?こんな感じなの?思ってたのとチャウ…」という違和感は少なく無い。やはり多少の期待を持って移るはずだろうから、落差はでかい。

初めてのエリア。馴染みの人も居ないエリアで、どう仕事と生活を両立させていくのか?遊びの時間も含めて、見直すと地域側がやれることが見えてくる。

この辺りをどこかの街と一緒に考えてみたいね。

 

※CETエリアとは、中央区、千代田区、台東区の一部を差すエリア。
もともと、2003年より始まった「Central East Tokyo(2003年時:Tokyo Designers Block Central East)」というイベントの通称『CET』を開催したエリアであることから、その呼称で呼ばれる事がある。

極論で選択をすると実は選択者本人が苦しくなり、そしてその周りもついていけなくなる。

たまたま「極論はツラくなるよね。」という話題があって…。
この時の話題になった対象だけでなく、最近いろいろなところで出てくる話題だなと、そんなことを思った。

この時の話題は「食事」の話だったのだけど、「あれが悪い、これが悪い」で完全に排除していってしまうと、食べれる物が限られてくる。だけでなく、食べたい時に食べる機会を逃したり。食事が苦痛になったり。

それたぶん理想としてる何かと、現在自分が於かれている環境とのギャップが激しすぎたり、矛盾があったりするんだよね。

自分の生活の環境の中で、いろいろな物と付き合いながら、偏ることなく無理の無い付き合い方が出来た方が食事自体を楽しめるよ。

生活していく場所の選択も同じだったりする。

住まいもそう。田舎暮らしを選択したところで、たまには都市部に通うことがあって良いし、趣味や興味が散らばっていても両面を知る人にとっては自然な話。
「田舎に行ったのだからそこで満足出来ないのはおかしい」みたいなのも極端すぎる話で、先の食事に例えるなら「そこの生活を楽しめなくなる」だけだろう。

頑なに頑固にそう自らを押しつける人も見るけれど、選択肢や可能性を狭めているだけで、ちょっと勿体無いと思うこともあった。

何かしらの選択をしたところで、全てがそこに巻き込まれる必要はない。

「それじゃ中途半端だ」って声もあるみたいだけれど、いやいやそれこそが人間じゃないのかな?
いろいろな物事に興味を持てる人こそ、広い視野ながらの正しい選択ができる時もあると思うよ。

偏った視野で判断する危険性に危機感を持っても良い。

都心部の文化や流行、情報の速さや、エキサイティングなエンターテイメントも好き。その上で、田舎にある静けさや澄んだ空気、青い海が好き。
そんな答えも、自然な一人の思考でありえると思う。それを選択し、実現するひとも居る。

東京で育った僕は北海道の自然に2ヶ月で飽きた。

あの土地で人との出会いがなかったら、しばらく北海道に残れなかったと思う。
ウェブや雑誌を賑わす最新情報は、すべて海外か東京の話。やっぱり東京の事に興味が向く。
東京に来れば「北海道はいいよね。美味しいもの多くて。」って話も全面的に「だよね!」と同意はするけど、やっぱり僕にとっては両者のバランスがあることが前提だったかもね。

八王子で育ったってこともあるのかも。都心部に行くのも近く、自然に出会うのも近い。なんとなく生活圏に両者があった。

でもやっぱり、誰もが「ぱっと思い浮かぶこと」というイメージは、薄っぺらいんだよね。だからそれだけを追いかけると大した深みは無い。
「北海道=大自然」みたいなのはそんなに面白くなくて、知らなかった文化に出会った時の方がワクワクした。人の興味ってそんなもん。

変化に対しても極論は避けた方がいい。

人が「今日からこんな人間になります!」と言ったところで、実は何も変わらないのと同じで、極端な変更は本人も含めて誰もがついていけない。デジタルに白黒変わるモノじゃない。人もモノに対するイメージも。

『街を変える』みたいなことも、あまりにも極端な考え方は危険だよね。今までのモノもあって、新しいモノも取り入れる。そのバランスがとれてこそ、新しいカタチなんじゃないかなって思うよ。